2016年1月28日木曜日

aokiのHuluライフその5:海外映画「ブラック・レイン」

 どうも、撃ってみたい架空の銃は、上から順にドミネーター(サイコパス)、デッカードブラスター(ブレードランナー)、ソードカトラス(BLACK LAGOON)の男、aokiです。


本格的にネタが無いときは、せめて映画を見て感想を書こうという安直な企画、「aokiのHuluライフ」の時間がやって参りました(プライド全力投擲

今回はこちら! 海外映画「ブラック・レイン」






監督はリドリースコット。1989年の映画です。
パッケージで気付いた方も多いでしょうが、アメリカ映画でありながら、日本も舞台としているため、高倉健、松田優作といった豪華な顔ぶれの日本人キャストが目立ちます。

松田優作ファンであれば、これが彼の映画としての遺作であることで有名。


あらすじ

ニューヨーク市警に所属するニック・コンクリン(マイケル・ダグラス)は、同僚のチャーリー(アンディ・ガルシア)との昼食中、ヤクザの親分と子分が刺殺されるという殺害現場に遭遇する。
現行犯で捕らえた男の名は佐藤(松田優作)。日本で指名手配中のヤクザであり、日本への護送を行う事になった二人だったが、佐藤の子分の計略により佐藤を取り逃がしてしまう。
大阪府警へ乗り込んだ二人は、佐藤逮捕のため、日本警察との合同捜査に乗り出す。
英語の話せる松本警部補(高倉健)を監視役として、日本での捜査に臨む事になったニックは、日本の風習に戸惑いながらも、事件の背後にあるヤクザ同士の抗争と壮絶な逮捕劇に挑む事となる・・・


感想

そもそも本作を初めて観たのは、aokiがまだ学生時代のころ。
自分が生まれるよりも昔の映画をなぜ見ようと思ったのかと言われると、趣味であるカクテルにて、「ブラック・レイン」という名のカクテルを知った事に始まる。
ウィスキーとアマレットのカクテル「ゴッド・ファーザー」のように、映画を由来として作られるカクテルは数あれど、レシピ本に乗るほどメジャーになるものは少ないため、これは見てみようとTSUTAYAでレンタルしたのである。

そのため俳優としての松田優作の存在は知っていたものの、その出演作を観るのはこれが初めてであった。
事情通はご存知の通り、末期癌であることを周囲に隠しながらの演技とは思えないほど、松田優作の怪演が光る。当初は殺すはずではなかった抗争先の親分からの「相変わらずヒヨッ子だな」という挑発に、「あぁ?」と殺意を迸らせる目力など、すごみのある演技に飲み込まれそうになる。
アメリカではエキストラを使うのが常識なバイクスタントを、これまでも体当たりの演技で臨んで来た松田本人が軽々とこなしている姿に製作陣が度肝を抜かれたというエピソードなど、日米の映画製作の良いところをうまく織り込ませた仕上がりとなっている。
数年前に「ブレードランナー」で近未来SFに独自の世界観を印象づけたリドリースコットは、「二つで十分ですよ」の店主に代表されるように、どこか小汚くて生々しい夜の街中に、日本のイメージを持っていたと思われる。
今作ではそれを継承し、どこか外連味の効いた夜の街という風景に日本ロケを敢行したらしいが、確かに夜の撮り方は、ブレードランナーを彷彿とさせる言いようのない彼自身の「味」がある。

脚本的な部分はともかくとして、今作では日本人キャストの起用、日本でのロケなどを行っているため、海外映画にありがちなチグハグな日本人像は薄い。
夜の街中、松本とうどんを食べるシーンで、箸がうまく使えないニックにお店のお婆さんが「こうするの」と持ち方を教え、「ドモ、アリガトウ」と返す姿など、日本文化に徐々に打ち解けるシーンは殺伐とした刑事物の中で微笑ましく、海外映画でありながら、日本人にこそ観て欲しい情緒も持ち合わせている。

アクション主体でない、主人公の悩みとバックボーンにも迫る緩急のある作品作りは、この監督の持ち味なのだと再確認できた。


総評

松田優作と高倉健を代表として、今は亡き日本の名優達の味のある演技をハリウッドで観るという、ある意味海外よりも日本人だからこそ楽しめる映画となっている。
流血シーンなど痛々しい描写もあるが、劇中で明かされる「ブラック・レイン」の意味するメッセージなど、淡々として無駄の無い作品作りに関心した。
いつか観直したいと思っていた折、ついにHuluに公開されたのが嬉しく、思わず記事を書き上げた次第である。
興味のある方は、ぜひとも観てもらいたい作品である。




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